蟲筆 -般若心経-

「生物は禅をすることができるのか?」

ゴキブリの移動方向を電気刺激で制御することによって般若心経を書き上げる作品。

禅とは我々がみている論理や言語で分節さ れた世界を解体し、無分節世界を見ることを一つの到達点におく。「無我の境地」とい うように、我を忘れ没頭することが理想的な状態である。この点において禅は主客を 解体し、万物と一体化することを可能にさせる。

ゴキブリを制御し書を行う作業は、禅的活動であるとも考えうる。ゴキブリの自発的な動きに呼応し私が電気刺激を与える。また、私の電気刺激によってゴキブリは移動方向を変化させる。まるで、私とゴキブリの主客は解体されていくようだった。意識が混ざり合いまどろんでいく感覚を得ることができた。

これはコンピュータ技術の発達によって可能になったコンピュータのフィールド上で生み出される人間と生物の直観的接触の先ぶれではないだろうか。

仏教では一切衆生悉有仏性というように全ての生物には仏性が宿っていると考える。彼らは自身で悟りを開くことはできないが、コンピュータ技術の発達している現代では禅的活動を行い我々と別の形で交信することができるのではないか?


制作動機・過程・作家への影響

「ではなぜ生物が禅によって悟る必要があるのか?それは人間のエゴでは無いのか?」 このように考える方がいるかもしれない。私は「ゴキブリを成仏させてあげよう」という痴がましい思想はもたない。 環世界という言葉があるように、ゴキブリは人間と異なった認知によって分節された世界をみている。この世界を言語によって説明しようとすると、たちまち人間の分節世界にひきづりこまれ、語ることができなくなってしまう。 であれば、言語や論理などの知的作用に頼らずに禅によって直観的に理解することができるのではないだろうか?と考えるようになった。 私が禅の目指す精神状態になっていたのであれば、ゴキブリが禅をしていた可能性は考えられる。 本作品によって、「生物が禅を行うことはできるか?」という問いは「生物を道具にして禅を行う」と同義であり、当面の私の探究テー マになった。



YugaTsukuda - ArtWork

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